降格人事

実績が悪ければ降格されるのが世の会社の常ですが、今年は小職の周辺の会社でも、すでに3人の知人が、いわゆる降格になりました。

共に、担当部署として提出した計画通りに実績が進んでいないことの責任を問われてのことのようです。

自ら提出した計画といいますが、多くは会社の暗黙の要請を忖度した数字。達成の根拠など二の次。根拠も曖昧なまま無理やり出させて置いて、この目標と実績の乖離を責め立てるのが世の中間管理職の職務と聞きますが、一種の詐欺。しかし、この中間管理職も、さらに上司から同じように数字で攻め立てられるというから、加害者のようで被害者でもあります。


世の会社の多くは根拠の曖昧な計画や目標を立てるといいましたが、考えてみると会社の計画や目標は大抵、希望的観測からなるもので本来、曖昧なものです。だから、曖昧であることが悪いとは思いません。問われるのは、担当部門の責任として、結果的な数字の未達を叱責するだけなのか否か、発生する現実とのギャップをギャップとして捉え、対策を講ずるか否か。

担当の実績が悪ければ、担当者として責任を問われるのは当然と思われがちですが、担当する市場や会社によって実績は大きく変わるものです。その担当も自ら選らだものではなく、多くは、会社から与えられたものです。その与えられた市場や会社が、たまたま、上り調子の場合であれば、その市場、会社の成長と共に実績を伸ばしていくことは容易ですが、そんな幸運に恵まれる場合は、まれ。また、恵まれたとしても永くは続かない。


人間の成長と同じように市場にも寿命がある。成長期を経れば衰退もする。市場が成長期にあるうちに衰退にそなえ次の成長市場への移行に備えられればいうことはないが、サラリーマンの多くは市場とともに成長もするが市場と共に消えていく運命にある。担当だからといって社員の職責を問うだけでことは解決するはずもない。それで事足りるなら上司は楽なもの。だれにでもできる。


改めて考えるまでもなく、業績の悪さの一番の責任を痛感しているのはなんといってもトップ。しかし、トップともなると、投げ出すわけにもいかない。だから、代わりに中間管理職の首を挿げ替えのだとも聞く。トップも苦しい。


幸いわが社には、結果的な数字だけで社員の尻りたたくような社風はないが、自慢することでもない。問われているのは計画立案後の日々の営業活動とその中身と自問自答。
レオナルド・ダ・ピンチ


みなさんはどうお考えでしょうか?