香港の日系ネーム屋さんもアパレルに変身!


 今回の香港出張では、久方振りに訪ねた会社があります。

 その会社は元来、日本でネームラベルを手掛けている会社で、早くから、香港にも進出し、欧米にも売り先をもつ・小さいが、しっかりとした商いする会社として、業界では、ちょっとは知れた存在の会社でした。

 いまでこそ、上海や青島に日系の付属業者が進出するのは、当たり前になっていますが、香港に会社を持つこと自体が、まだ、珍しい何年も前の頃、この会社は、香港でラベルの製造・販売を手掛けていました。アジアはもちろん、欧州の同業との交流も積極的に行い、その交流で得たユニークな素材やデザインを日本市場で巧みに利用して独自な地歩を固めていました。日本国内はお兄さんが、香港は商社経験のある弟さんが、それぞれ担当し、見事な二人三脚ぶりとお見受けしておりました。

 その香港の会社に何年振りかに訪れてみて、驚かされました。

 その香港の会社は、それまで取り取り扱っていたジーンズ関連のラベルの仕事からアパレルに一大変身。日本の業界新聞でも伝えられていたので、ある程度の変身は想定していましたが、全くの変身振りには改めて驚かされました。
 
 訪問した会社のオフィスには、豪華な毛皮風の衣服が所狭しと飾られていました。昔のラベルメーカーとしての面影は、全く残っていません。部屋に並べられている今風のデザインの衣服につけられている下げ札のこり具合に、昔のラベル屋さんの面影が、かすかにしのばれるくらい。

 一大変身を実行した弟さんが、自ら、変身の動機について、語ってくれました。それによると、早くから香港に進出し、香港で、いち早く地盤固めに成功されたと思っていましたが、内実は多分に厳しいものであったようです。

 実際、ジーンズ用途に特化したニッチ市場にも、香港は勿論、周辺の新興国から相次いで参入。参入して成功するとすぐまた、独立するとかで、サプライヤーが細胞分裂的に増加。小資本でも簡単に始められるというラベル商品の性格がさらに拍車。U社などによる廉価なジーンズの大量排出により、頼みの日系ジーンズメーカーの多くが瓦解。

 ラベル市場の行く末を案じ始めていたころ、現在の商材に遭遇。日本で特許も取得でき、欧米での国際ランセンスも取得できたことから、この商材を前面にしたアパレルへの転身を決意したとのこと。アパレルの得る利益の大きさも変身の大きな動機になったとか。

 現在は、日本での販売だけでなく、ロシア、欧米にも販路開拓。今年、英国・ロンドンにご子息が中学留学するのを機に、家族で移住を決意。住居はロンドン事務所をも兼ねる。弟さんは、日本・香港―ロンドン間を行ききするのだとか。

 中国・上海で開催される繊維関連の展示会には、毎年、ものすごい数のラベル業者が出展しますが、その圧倒的なボリュームまえにして、危機感抱かない方が不思議なくらいです。変身できる内に、さっさと変身するのも賢い選択に見えます。細胞分裂的に増殖するラベルのサプライヤーを前に、自らの立ち位置を築くには、大きな資本力と物量をバックに総動員するしかないのでしょうか?

 海外もいよいよ、激戦。この変身とげた会社と同じくらい前から香港・中国に進出していた日系YH工業も今年、身売。海外にいることだけでアドバンテージ得られる時代は終息したようです。

 質・量ともに勝負しなければならない中で、われわれ、日本残留孤児の立ち位置も、一段と狭められた感、強くうけた出張でありました。
 
レオナルド・ダ・ピンチ